【思考は現実化する】解説|「思考は現実化する」が誕生するまで|ナポレオン・ヒルの成功哲学
この記事は、ナポレオン・ヒルがアンドリュー・カーネギーと出会い、そして1世紀を超えて、現代でも世界中で読み継がれている「思考は現実化する」が誕生するに至るまでの話です。
「思考は現実化する」は、現在では全世界発行部数1億部を超えるベストセラーとなっています。
そして、ナポレオン・ヒル自身も「自己啓発の祖」と呼ばれるまでに至りました。
世の中に存在する自己啓発は、ナポレオン・ヒルが源流にあり、その派生であると言われる所以もそのためです。
すべては、ナポレオン・ヒルが継母の助言によって始めた仕事により、アンドリュー・カーネギーと出会うところから物語が始まります。
それでは実際に、ナポレオン・ヒルがW・クレメント・ストーンを隣に連れて、話したスピーチを見ていきましょう。
1982年生まれ。2004年(22歳)から20年間自己啓発の世界に身を置き、自己啓発のプロフェッショナルとして営業、社内講演や研修をメインに活動していました。
ナポレオン・ヒル財団・アジア/太平洋本部で、日本唯一の販社オーナーとして当時の個人、代理店共に月間セールス日本一の記録も保持していました。
以下の自社取扱いプログラムを所有、実践しており、ナポレオン・ヒルが一番好きです。
- ナポレオン・ヒル(成功哲学の祖。「思考は現実化する」など成功法則を体系化)
- ジョセフ・マーフィー(マーフィーの法則や潜在意識活用法)
- マクスウェル・マルツ(サイコ-サイバネティクス理論)
- ジグ・ジグラー(自己イメージ改造理論)
- ブライアン・トレーシー(営業の神様)
- デール・カーネギー(道は開ける・人を動かす)
- ジョー・ヴィターレ(引き寄せの法則を広めた「ザ・シークレット」の賢人エイブラハム)
現在はほぼ隠居状態でのんびり、山籠りで自給自足の生活も良いなぁとか考えたりしてます。
臨時雇いの新聞記者になるまで
世界中で最も素晴らしい女性である継母は、まず父を歯医者にし、次に私を呼んでこう言ったのです。
「お前は長男でもう15歳にもなるのだから、将来何をするのか、そろそろ決める時期がきたわよ」
こう言って、継母は私に新聞関係の仕事をするように勧めました。
私は、継母が勧めるように、新聞社に記事を送る仕事を始めました。
小さな地方新聞社ばかりでしたが、ある時期など16社に記事を書いて送っていたものです。
私はこのように臨時雇いの新聞記者をしながら、高等学校にも通っていました。
高校を出たあとは、家の近くにある実業学校の一年コースに入学しました。
そのあと、法律学に興味を持っていましたので、 弁護士になろうと思って、私と弟は、ジョージタウン法科大学に入学しました。
しかし、学費を払うお金がありません。
そこで私は、新聞記者の経験がありましたので、ボブ・テイラーズ・マガジンという雑誌に、成功者たちについての記事を書くことで、この学費を工面することにしました。
そして幸運なことに、私の最初の仕事が、当時ピッツバーグに住んでいたアンドリュー・カーネギーとのインタビューだったのです。
1908年の秋のことで、私は25歳、 カーネギーは73歳でした。
ここまでの内容で学ぶこと
ここまでについては、どこにでもよくある話です。
ということはつまり、特段何かに秀でていたり、生まれた時から何か特出したものを持っていたり、裕福でないと成功へと辿り着くことができない、ということはないことも意味しています。
それでは続いて、アンドリュー・カーネギーから、手を差し伸べられるまでを見ていきましょう。
アンドリュー・カーネギーとの出会い
カーネギーは、私と三時間も話をして下さいました。
三時間後、彼は「このインタビューは、今始まったばかりだ。どうかね、一緒に私の家に行き、食事をしようじゃないか。 食事の後で、話の続きをしよう」
とおっしゃって、私を彼の豪邸に連れ帰りました。
結局、このインタビューは、三日三晩続きました。
私は、いったいどうして、彼が私をこんなに長く引きとめておくのか、不思議でたまりませんでした。
彼は私に、新しい「哲学」についての話を、ずっと続けていたのです。
「ソクラテスやプラトンの時代から、 最近のウイリアム・ジェイムズやエマースンまで、数多くの哲学者たちが、数多くの哲学を生んできたが、そのほとんどがモラルに関しての哲学にすぎない。
それはそれで必要でも、現代はこれらとは違った新しい哲学、巨富を築く哲学も必要なのだ」
続けて彼は、こう語りました。
「今、必要とされているのは、万人が巨富を築く哲学だ。私のような人間が人生を通して学び、そして編み出した成功のノウハウを、誰でも活かすことができるはずだ」
私はこれを聞いて、素晴らしい考えを持っている方だと思いました。
けれども、私には一つだけ理解できない言葉がありました。 「哲学」という言葉です。
ここまでの内容で学ぶこと
アンドリュー・カーネギーは、哲学が分からないナポレオン・ヒルに、それについて永遠と語っています。
一見すると奇異にも見える光景ですが、このようなシーンは実は私達の日常でもよく起こっていることです。
例えば
・会社で上司が組織のいない部下に向かって組織論を語る
・アルバイトに役員や社長が経営論を話している
このようなケースを見たり、自身が遭遇したりしたことはありませんか?
もちろんただの話したがりの人もいるのですが、こういったケースの多くは、その人の素質を見抜いて、先を見越して教えることで、その反応を見ているのです。
つまり、もう手は差し伸べられているのです。
それでは続いて、チャンスを逃さずに掴むまでを見ていきましょう。
アンドリュー・カーネギーからの依頼
私は、三日三晩、彼に付き合いました。
そして、その最後の彼は
「さて、私はきみに三日間も「新しい哲学」の必要性について話をした。
ここで、私から君に質問がある。
もし私がこの『新しい哲学』を一つのプログラムにする仕事を君に頼んだら、君はどうするかね。
もちろん、協力者やインタビューすべき人たちには、紹介の手紙を書いてあげよう。
とりあえず500名だ。
この成功プログラムの編纂には20年間の調査が必要だが、その間、君はこの仕事をやる気があるかね?イエスかノーで答えたまえ」
皆様、私は、今日までに、多くの重要な選択をしてきました。
中には、とても難しい選択もありました。
でも、この時ほど、恥ずかしい状況で、難しい選択を迫られたことはありません。
「恥ずかしい」と申し上げたのは、カーネギーがこの話をしているちょうどそのとき、私はポケットに手を入れて、中の小銭を数えていたのです。
でも、いくら数えても、ワシントンに戻るのに必要なだけしかありませんでした。
それも、カーネギーが邸宅に泊めてくださったので、それだけ残っていたわけで、もし、ホテルに泊まっていたら、それさえも無かったのです。
こんな私に、しかも彼の言う「哲学」の意味さえ把握できない私に、この世界一の金持ちが自分のために20年も働けとおっしゃるのです。
私は考えました。
「このカーネギー氏が、三日間も私に話をしたのは、何らかの目的があるはずだ。 彼は私自身がまだ気がついていない、 何かの才能を私に見出したのかもしれない」
ここまでの内容で学ぶこと
ナポレオン・ヒルは、この段階で「今この瞬間に起きていることには、すべて意味が在る」ということに気付きます。
つまり、差し出された手に気付いたのです。
しかし、目の前にある現実が、ありとあらゆる方面から、YESと答えたい決断を覆そうとしてきます。
これは、この記事をお読みの方も何度も経験したことが在るでしょう。
この時にあなたを成功へと導くのか、それとも平行線を辿る人生になるのかの分かれ目が、この後に語られる「透明人間」の存在なのです。
それでは続いて、チャンスを掴む瞬間について見ていきましょう。
ナポレオン・ヒルの一生を変えた決断
彼はまた、人の才能を活かして使うことで有名な人だったのです。
私にこの仕事を任せても大丈夫だと確信したからこそ、こんな話をしたのでしょう。
彼が見出した私の才能とは、この、私の横に立っている寡黙な透明人間のことです。
この透明人間が、このとき私の肩ごしに「ほら、何をためらうことがある。イエスと早く答えろ」と、ささやきました。
私は「カーネギーさん、ぜひ、やらせてください。その仕事を必ずやりとげると、ここでお約束致します」と答えました。
カーネギーは「いい答えだ気に入った。 君なら、きっとできるだろう。ぜひ、やってくれたまえ」とおっしゃいました。
そして皆様、次にカーネギーはこう言ったのです。
「ただし僕から君への金銭的援助は一切ない。それでいいかね?」
皆様でしたらこんなとき、どんなお答えをなさるでしょう?
世界一の金持ちのために、20年間もタダ働きをするかどうか?
当然、お断りになるでしょうね。
私も、その瞬間、断ろうとしたのです。
でも、私は再び考えました。
そして「イエス」と答えたのです。
すると、カーネギーはポケットからストップ・ウォッチを取り出して、こう言いました。
「29秒。 きみが答えを出すまでに29秒かかった。
私は一分を超えたらきみを見込みのない、ただの人間としてあきらめるつもりだった。
この種の決断というのは、一分以内に出せる人間でなければ、その後、何をやらせてもダメなものなんだよ」
こうして私は、この面接のようなものを何とかパスしたのでした。
後にカーネギーが語ったところによりますと、私以前に260名以上の人に同じ話をもちかけたのだそうです。
しかし全員失格だった、と彼は言っていました。
そのようなわけでカーネギーは、私を見て、思いつきであのような提案をしたわけではなかったのです。
本人が述べたように、 実際、この仕事をするにあたり、カーネギーは、私が会うべき人たちに紹介状を書いてくれることと、最初の頃の取材の実費を支払ってくれることしか、援助をして下さいませんでした。
ここまでの内容で学ぶこと
ここは非常に学ぶ内容が多い部分です。
まず「透明人間」です。
これは、ナポレオン・ヒルが行ったスピーチなので、ユーモアに富むようにこのような表現をしていますが、簡単に言えば「もう一人の自分」「潜在意識」といえば分かりやすいでしょう。
あなたが連れている透明人間は、あなたを後押ししてくれる存在なのか、それともあなたを否定して足を引っ張る存在なのか。
これだけで人生は大きく変わります。
だからこそ、消極的心構えが不要であり、積極的心構えが必要になるのです。
次に、金銭的援助についてです。
ほとんどの人が「出してあげれば良いのに」と思われることでしょう。
しかし、無闇にお金を出すことは、失敗を誘発させるのと同意なのです。
例えば、飲食店をやりたい人にお金を出してあげれば、本人が身銭を切って独立するよりも、必死さが弱くなります。
また、お金を出せば解決する問題なのであれば、「その人である必要」もなくなるのです。
最後に、29秒の決断です。
人生というものは有限ですので、即決即断できない人に成功は訪れません。
なぜなら、成功を志して進んでいくと、いくつもの選択と決断を同時に、かつ迅速に行わないといけないからです。
それは、ただ早ければ良いわけではなく「正しく」ないといけないのです。
人類の最大の敵は「先延ばし」である、と成功哲学で語られており、成功哲学に興味がない、世の中の誰もが知っている事実であることからも、明らかでしょう。
それでは続いて、成功の真理とも言える内容について見ていきましょう。
20年間タダ働きすることを求めたカーネギーの真意
私は当初、カーネギーがなぜ20年間という歳月が必要だと言ったのか、よく分かりませんでした。
同時に、これはもっと不可解なことでしたが、なぜ金銭的援助をまったくしてくれないのかも、私にはよく理解できませんでした。
しかしその後、カーネギーと何度も会って話している内に、すべてが解き明かされたのです。
カーネギーは私に500名以上の成功者を紹介しましたが、私に彼らを紹介した時点では、彼らのすべてが大成功者であったわけではなかったのです。
カーネギーは私にこう言いました。
「すでに大成功を収めた人々の話など、 図書館に行けば多くの本に載っていることだ。
それはそれでよい。
しかし君にはどのような人間が、どのようにして成功者と呼ばれる人間になるか、その過程を、じっくり観察してもらいたいのだ。
そのために、私が紹介する人々の中には、まだ成功者とは見なされていない者もいる。
しかし、彼らは将来必ず成功するだろう。
それには、20年間、じっくりと彼らを観察し、どういう時に失敗を犯し、どういう時に成功を重ねていったか、詳細に分析する必要があるのだ」
実際、カーネギーの人を見る目は優れたものでした。
どういう形にせよ、 彼が私に紹介した人々は、カーネギーが私に課した20年という歳月の範囲内で、次々と成功者となっていったのです。
さて、次の疑問、すなわち20年間タダ働きの件ですが、これも後からカーネギーは私にそれとなくタネ明かしをしてくれました。
「君にはすでに、私がこれまで従ってきた成功の黄金律を述べた。
それにまた、実際に人生で大成功を収めた人々にも会って、さまざまな話を聞くことになる。
そうであれば、君がこれからの人生で成功しない理由はまったくない」
これもその通りになりました。
こうして私は、その後の私の人生を、 アンドリュー・カーネギーの成功ノウハウの普遍性を裏付け、また補強する一大事業に専心することになったのです。
ここまでで学ぶこと
先に挙げた「成功の真理」ですが、この記事をお読みの方はお気付きになられましたでしょうか?
それは「成功とは結果ではなく過程である」ということです。
あなたやあなたの身の回りの人で、成功した人が「どうやって」成功したのかを必死に聞き回っている人はいませんか?
何をして、どうやって、といった手法は、それこそ図書館でも、成功者が出した自伝でも、現代ならネットで調べるでもすれば、すぐに分かることです。
重要なのは、その過程において「その人がどう在ったからそうなったのか?」なのです。
それでは続いて、実際に20年間の研究の始まりについて見ていきましょう。
ヘンリー・フォードとの出会い
さて、彼が最初に私に会うように勧めたのは、ヘンリー・フォードでした。
彼は私に「まず、デトロイトに行き、ヘンリー・フォードに会って、彼の話をよく聞くことだ。
なにしろ、フォードはいずれ自動車産業を支配するようになるのだから。
そして、自動車は鉄鋼の次に大きな産業になるのだから」
と言いました。
皆様、これは、1908年の秋の話です。
私はデトロイトに行き、二日もかかってやっとフォードの居所を掴みました。
車の実験をしている最中で、現場から出てきたフォードは、汚い仕事着を着て、くしゃくしゃの帽子を被り、手は油で汚れていました。
彼と握手をしたおかげで、私のシャツの袖が汚れてしまったのを今でも覚えています。
私は、初対面では30分ほど彼と話をしましたが、 フォード氏は自分からはあまり話をせず、私の質問に対し、ほとんどイエスかノーで答えるだけでした。
しかも、そのほとんどが「ノー」 でした。
私は、この男が、将来どんな分野でだって、リーダーになれるはずはないと思いました。
カーネギーのような偉大な人物でも、見込み違いがあるのだな、と思ったのです。
フォードと会った時は、あの世界初の大量生産、 T型フォードを売り始めたばかりの頃でした。
しかし、まだこの車が売れるものかどうか、 定かではありませんでした。
しかしその五年後には、世界中はフォードの車で埋めつくされていたのです。
そして彼と初めて会った年からちょうど20年後、 T型フォードはその使命を終えました。
その時フォード氏は、自社をあの巨大なフォード帝国とまで呼ばれる、世界最大の自動車会社にまで育てあげていたのです。
ここまでで学ぶこと
現代の世の中で、人が当たり前のように使っている便利なものはすべて、当時は「そんなの無理だ」から始まっているものです。
飛行機だって、ライト兄弟が完成させるまでは「人が空を飛ぶなんて無理だ」が定説だったのです。
これらはすべて、メンタルブロックと呼ばれる「自身を押さえつける心の鎖」が原因です。
メンタルブロックを外して、自分が望むものへ真っすぐ進んでいける人のみが、願望や目標へと辿り着けるのです。
それでは続いて、成功哲学が完成に至った当時について見ていきましょう。
20年目にカーネギーとの約束を果たす
このようにして私は、カーネギーの紹介で、さまざまな分野で成功を収めている多くの人たちに会い、彼らの協力を得ることができました。
そして、彼らの長所、短所、失敗や勘違いを知り、カーネギーと約束したちょうど20年後の1928年に、この人生成功の哲学を、16セッションからなるプログラムとして、世に出すことができました。
私は、その後『「思考は現実化する」THE THINK AND GROW RICH』を出版しました。
これは、すでに世に出したプログラムの紹介編といった意味を持っていましたが、この本は驚くほどヒットし、やがて世界中で広く読まれるようになりました。
また、後に私の友人となった、マハトマ・ガンジーの協力を得て、私のこの著書はインドでも出版され、何百万という人々に読んでもらうことができました。
ガンジーは、これは後で分かったことですが、ピンカートン探偵社というところに私の身元調査を依頼し、細大もらさず報告するようにと命じていました。
その後、ボンベイの出版社から私の本が出版されたわけですが、その後は彼のお墨付きで、私のすべての著書がインド中で売られるようになったのです。
あるいはまた、ポルトガル語にも翻訳され、南米の各地で読まれておりますし、 イギリス連邦諸国でも評判を呼びました。
私は、この世で実際に、生活に活かすことのできる成功のための哲学を、一般の人たちに向けて、私の本ほど分かりやすく説いた本は無いのではないかと自負しています。
皆様、 私は本当に幸運でした。
当時の私は、大した学歴も持たず、いちもん無しに近かったのです。
このW・クレメント・ストーン氏が現れるまでは、後押ししてくれる人さえもいませんでした。
このような私が、人生成功のプログラムや書籍を出し、しかもそれらは、世界中で少なくともこれまで2000万人(当時)以上の人々に、大なり小なり活用されてきたのですから、驚かずにはいられません。
私は、自慢をしているのではありません。
これはすべて、この私の横に立っている透明人間が、私を導いてくれたからできたことなのです。
ここまでで学ぶこと
20年間、研究に打ち込むことができた、ナポレオン・ヒルの心境を考えてみて下さい。
なぜ彼は、そのようなことが出来たのでしょうか?
まず一番最初に大きな要因として挙げられるものは「ゴールが明確であったこと」です。
ゴールが不明瞭であれば、途中で諦めてしまっていたことでしょう。
次に「やり遂げるにあたって確信があったこと」です。
ゴールへ向かって進めば進むほど、それが事実であって、間違いないことが立証されていけば、辞める原因がなくなります。
この動画をお聴きの方も、捜査をする警察や、真実を追うジャーナリストの気持ちになってみて下さい。
調べれば調べるほど、核心に迫るのであれば、それを辞める理由はありませんよね。
あなたの成功も、進めば進むほど、願望や目標へ近づいている確信が得られれば、途中で諦めたりすることはなくなるのです。
それでは最後に、この話の主役であるナポレオン・ヒルの周囲について見ていきましょう。
夢と現実との綱引き
私はカーネギーに「イエス」と答えた後で、当時住んでいたワシントンの家に帰り、弟にこの話をしました。
弟は何も言わずに、私の話を最後まで聞き、私が話し終えると静かに立ち上がり、私の肩を抱いて言ったものです。
「ナポレオン兄さん、俺は、一緒に裸足で駆け回っていた小さい頃や、ワイズ郡のゲストラル川で一緒に泳ぎを覚えた頃から、いつも兄さんは少しおかしいんじゃないかと疑っていたんだ。
今やっとその話を聞いて、もう、疑う必要はなくなったと確信したよ。
これで、兄さんが本当に狂っているということが分かったからね」
これが、 実の弟の言葉です。 本当に私はそう言われたのです。
しかし弟にこう言われて、私は、はたと現実に引き戻されました。
そこはもう、ピッツバーグから遠く離れたところで、あのカーネギーの魔法のような強烈な印象も薄れかけていました。
弟の考え方は、とても論理的なもののように思えました。
事実、その後、私に親類や友人は、ただ一人を除いて、皆、私のしたことに対して、弟と同じ評価をし、見下した目で私を見るようになりました。
私のしたことを肯定し、真剣な顔で「お前だったら必ずできるよ。がんばってやりなさい」と言ってくれたのは、たった一人、私の継母だったのです。
皆様、私が、継母が世界中で最も素晴らしい女性である、とお話しした理由がお分かりになるでしょう。
私の人生にとって、この世界で最も素晴らしい影響を与えてくれたのは、この継母と、そしてもう一人、私の妻です。
妻は、私のエゴの代弁者であり、最も辛辣な批評家であり、 そして、最も仲の良い友人です。
私の現在までの成功はすべて、この二人の女性の援助のおかげですし、これから私が達成していくこともすべて、 この二人の女性のおかげなのです。
ここまでで学ぶこと
さぁ、あなたはこの記事を読んで、何を学びましたか?
成功するためには、現在の状況で上手く行かないのであれば、まずは思考を変えないといけません。
そして、思考を変えるためには、あなたの思考を支配している、自身の心であり習慣である、潜在意識というものから変えていく必要があります。
潜在意識が変わるから、習慣が変わり、習慣が変わるから思考が変わり、思考があなたを変えることで、過程と結果が変わっていきます。
人間は、自分自身の習慣や環境を、自らが望んでいる形で作り出すことができます。
将来を自分で築き上げる脳力、目標を自分で選ぶ脳力があなたにも在るのです。
そのためにも、意識というものがどれほど強いパワーを持っているかを認識するところから、始めていきましょう。
そうすれば、不要な予感や恐れについて考える暇などなくなり、その存在はいつしか消えてなくなるのです。
これが、透明人間の正体です。