ヘンリー・フォードを挫折から立ち直らせたもの|ナポレオン・ヒルの成功哲学
今回の内容はフォード社の創業者であり、当時自動車王とまで呼ばれたヘンリー・フォードにまつわるものです。
彼も、成功に至るまでの間に、多くの問題や苦難を抱えながらも、現在の地位まで辿り着くことが出来ました。
それは彼を熱心に支えた、フォード夫人の力があってこそです。
何度も挫折しそうになった、ヘンリー・フォードを立ち直らせることができたフォード夫人の献身とは一体どのようなものだったのでしょうか。
また、社会的地位を手に入れたフォードに降り掛かった災難から、マスターマインドの信頼を世間に知らしめたエピソードの2つを見ていきましょう。
1982年生まれ。2004年(22歳)から20年間自己啓発の世界に身を置き、自己啓発のプロフェッショナルとして営業、社内講演や研修をメインに活動していました。
ナポレオン・ヒル財団・アジア/太平洋本部で、日本唯一の販社オーナーとして当時の個人、代理店共に月間セールス日本一の記録も保持していました。
以下の自社取扱いプログラムを所有、実践しており、ナポレオン・ヒルが一番好きです。
- ナポレオン・ヒル(成功哲学の祖。「思考は現実化する」など成功法則を体系化)
- ジョセフ・マーフィー(マーフィーの法則や潜在意識活用法)
- マクスウェル・マルツ(サイコ-サイバネティクス理論)
- ジグ・ジグラー(自己イメージ改造理論)
- ブライアン・トレーシー(営業の神様)
- デール・カーネギー(道は開ける・人を動かす)
- ジョー・ヴィターレ(引き寄せの法則を広めた「ザ・シークレット」の賢人エイブラハム)
現在はほぼ隠居状態でのんびり、山籠りで自給自足の生活も良いなぁとか考えたりしてます。
ヘンリー・フォードを挫折から立ち直らせたもの
最も偉大なマスターマインドの発揮は、ヘンリー・フォード夫妻の間で行われました。
その始まりは、フォード家の台所でした。
ヘンリー・フォードが、彼にとっては最初のエンジンと、取り組んでいた頃の話です。
フォード夫人の愛と献身が、ヘンリー・フォードの必死の努力を支え、ついに自動車用エンジンの開発という、大きな成果をもたらしました。
その全期間にわたって、2人の間にあったものこそ、最も偉大なマスターマインドの提携です。
エンジンを開発するために、必要であった努力と忍耐の数年間、彼らを固く結び付けていた同志てきな信頼や愛情、そして感謝の気持ちは、生涯続くことになります。
フォード夫人は、大変地味な人柄でしたから、あまり世間には知られていませんが、彼女を知る少数の人々は「フォードの偉大な業績は、彼女の存在を抜きにしては考えられない」と言い切っています。
つまり、周囲から見ても、ヘンリー・フォードが挫折しそうになっていたり、諦めそうになっているのを見ていたから知っているということです。
しかし、ヘンリー・フォードがそのような状況に陥っても、何度も立ち上がって再び頑張る姿を見るたびに、影でフォード夫人が支えてあげている事も知っていた、ということです。
・夫を勇気づける優しい微笑
・理解ある敬愛の心
・日々の新たな希望
・慰めと細やかな心遣い
これらが、ヘンリーフォードを挫折から立ち上がらせ、目標の実現へと押し上げていったのです。
共通の目標に向けて、心を一つにすることができた、フォード夫妻の努力は、全ての人々に対する励ましとなるでしょう。
彼らもまた、自分たちの望むものを知っていたのです。
このエピソードから学ぶこと
私達は、誰かと寄り添って生きていくことになります。
他の誰にも頼らず、ひとりきりで生きていくというのは、とても困難を極めるものです。
そうであるからこそ、山の中で一人で暮らしているような人に尊敬の念を感じたり、自給自足の生活をしているドキュメントなどにも感動を覚えます。
世界中の偉業を成し遂げた人のほとんどは、必ず隣で応援してくれる人がいるものです。
それは家族であったり、親族であったり、恋人であったり、友人であったりします。
たった一人で、誰とも関わらずに、成功へと辿り着くことも不可能ではありませんが、周囲と一緒に成功を志すよりも、よりハードな状況を生み出すことになります。
それでは続いて、マスターマインドというものが、いかに有用であるかを、世界に知らしめることとなったエピソードについて聴いていきましょう。
目標に対するパッションと精神の集中
フォードに関しては、もう一つ、マスターマインドのノウハウの適用に関する、ドラマティックなエピソードがあります。
第一次世界大戦の最中、シカゴ・トリビューン紙がフォードを無学な人、無知な平和主義者と決めつける、誹謗記事を掲載しました。
フォードはこれを見ると、直ちに新聞社を名誉毀損で告訴しました。
論争は、法廷の場に持ち出されたのです。
トリビューン紙の弁護士たちは、真実を述べることは侮辱ではない、という格言を土台にして、フォードがいかに無知な人間であるかを、立証しようとしました。
そして彼らはフォードを証言台に立たせ、歴史から技術にまで広がる、広範な質問を浴びせたのです。
トリビューン紙の弁護士たちは、彼を証言台で立ち往生させ、無知を立証しようとする作戦でした。
フォードは1時間以上にわたって、忍耐強く質問に答えていました。
しかし、あまりにも愚かな質問に、彼はついに腹を立ててこう言いました。
「オフィスの私のデスクには、押しボタンがいくつも並んでいる。
もし私が、今までの馬鹿馬鹿しい質問に正確に答えようと思うなら、適当なボタンを押せばよい。
そうすれば、今の君たちの愚かしい質問にも、正しい答えを出してくれる人間が、すぐ飛んでくることになっている。
呼べばいつでも、知りたいことを全部知らせてくれる有能な人間を、ズラリと私は揃えている。
それなのに、どうして私が馬鹿げた質問に答えるために、役にも立たないような些細なことまで、私の頭に詰め込まなければならないのか。
そうしなければいけないというのなら、その正当な理由をどうか教えてもらいたいものだ」
裁判は、何ヶ月も続きました。
裁判が行われたミシガン州、マウント・クレメンスの、小さなマコム郡の法廷は、大騒ぎになっていました。
フォードの証言は、1万5000の週刊誌と、2500の日刊新聞に掲載され、世界中に届いたのです。
この裁判は、慰謝料100万ドルを要求する訴訟でしたが、フォードは精神的な勝利で、満足しなければなりませんでした。
陪審員たちは、フォードの訴えを認めはしましたが、裁判長の認定では、損害はたったの6セントとはじき出されたからです。
しかも、それは法定費用としてです。
しかし、フォードの意見は、質問をした相手側の弁護士を感心させてしまいました。
そして、マスターマインドのノウハウへの信頼を、法廷記録にはっきりと記録させたのです。
このエピソードから学ぶこと
1つ目のポイントは、マスターマインドの重要性です。
社会的地位を手に入れたフォードの身の回りには、彼が知りたいことを、いつでも何でも教えてくれる存在で溢れかえっていました。
これは現代における、私達日本の企業でも同じです。
大企業の社長の側近には、各部門のコンサルティングチームが、それぞれの専門知識を持ち合わせて、意思決定や企業戦略の一役を担っています。
自分で何でも知っていて、かつ何でもできることは、とても素晴らしいことですが、実はあまり効率が良くないのです。
なぜなら、作業が必要であればその時間を割かれることになりますし、知るために知識を身につけるのも、かなりの時間を要するからです。
もし、何でも知っていて、何でも出来る自分がいるのであれば、そのポテンシャルが高い自分自身を「替えが効かない、自分でないと無理なこと」に専念させるべきなのです。
これは、コンサルティング業務に就いている人間であれば、誰でも知っている基本的なことです。
2つ目のポイントは、マスターマインドを世界が認めた事実です。
シカゴの新聞社との法廷における論争は、結果的にフォードの勝訴となりました。
賠償金は得ることが出来ませんでしたが、大切なところはそこではありません。
それは、裁判において「自分自身が何もかもを知っている必要はない」というフォードの主張を認め、それが正しいという判断を下したということになります。
これは現代においては、誰もが認める事実でしょう。
なぜなら、インターネットで調べれば大抵の情報は載っています。
専門性のある知識ですら、その部門の専門家たちが情報を発信している時代です。
「分からなければ聞けば良いだけ」が「分からなければ調べれば良いだけ」に変わったのです。
ただ、情報のすべてを発信しているわけではないので、より専門的な対応が必要なものであれば、専門家の門戸を叩くようにしますよね。
3つ目のポイントは一番重要です。
それは「どうしたら周囲をマスターマインドで満たすことが出来るか」です。
これは、自分自身に周囲が付いてきたくなる、人間性を持ち合わせていないと成り立ちません。
これを解決させるためには、あなたの心構えをきちんと構築し、周囲にとってメリットではなく、魅力ある自分を形成する必要があります。
どれだけお金を持っていたとしても、解決できる問題ではないのです。
だからこそ、現状お金を持っていなくても、マスターマインドで溢れている状況というものは、作り出すことができます。
例えば、若くして上場させた社長のエピソードを伺ったりすると、周囲に助けてくれる人がたくさんいた、もしくは優秀なスタッフが集まっていたから短期間で成功できた、といった話を聞いたことはありませんか?
これはよく「人に恵まれていた」と言われるものですが、これこそがマスターマインドというものです。