【思考は現実化する】解説|ナポレオン・ヒルの母親のエピソード
1982年生まれ。2004年(22歳)から20年間自己啓発の世界に身を置き、自己啓発のプロフェッショナルとして営業、社内講演や研修をメインに活動していました。
ナポレオン・ヒル財団・アジア/太平洋本部で、日本唯一の販社オーナーとして当時の個人、代理店共に月間セールス日本一の記録も保持していました。
以下の自社取扱いプログラムを所有、実践しており、ナポレオン・ヒルが一番好きです。
- ナポレオン・ヒル(成功哲学の祖。「思考は現実化する」など成功法則を体系化)
- ジョセフ・マーフィー(マーフィーの法則や潜在意識活用法)
- マクスウェル・マルツ(サイコ-サイバネティクス理論)
- ジグ・ジグラー(自己イメージ改造理論)
- ブライアン・トレーシー(営業の神様)
- デール・カーネギー(道は開ける・人を動かす)
- ジョー・ヴィターレ(引き寄せの法則を広めた「ザ・シークレット」の賢人エイブラハム)
現在はほぼ隠居状態でのんびり、山籠りで自給自足の生活も良いなぁとか考えたりしてます。
ナポレオン・ヒルの継母のエピソード
今回の「思考は現実化する」の解説内容は、ナポレオン・ヒルが公演で語っていた、自身の生い立ちと家族のエピソードです。
私は、1883年にヴァージニア州南西部のブルーリッジ山脈にある、小さな村の粗末な丸太小屋で生まれ、 そしてそこで育ちました。
正確に言えばワイズ郡というところですが、たった一部屋の、しかも土間で、とても貧相な小屋でした。
父は鍛冶屋をやっていました。
ナポレオンという名前は、金持ちの叔父の名を取ってつけられたものです。
あのナポレオンのように将来、立派な人物になるようにとの願いもこめられていました。
家にあった家具といえば、ちょうつがいで壁についており、使わない時はしまっておけるタイプの実用的なテーブルが一つ、そして、ベッドとマットレスが一つ。
このマットレスは、木屑を詰めたもので、今のスプリング内蔵のものとは全然違うものでした。
それから、大きなオーブンが一台、暖炉の上にあり、これでパンを焼いていました。
馬と牛が一頭ずつ、そして、篤志家の祖父母からもらったハムが一本。
これが、私の両親が持っていたすべてでした。
そして、この私が生まれたのです。
私が、この両親から受け継ぐことのできたものといえば、貧困、恐れ、迷信、そして文盲でした。
論理的に考えて、私がこの束縛だらけのワイズ郡から、逃げ出すチャンスは一つもありませんでした。
この地方には三つの有名な特産物がありました。
トウモロコシの焼酎、がらがらへび、マウンテン・フュード、つまり家と家の争いの三つです。
こんな田舎の希望のない生活が変わったのは、私の母親が私が9歳のときに死んでからしばらくして、父が新しい母親を連れて来た時です。
この母は、私が生涯で出会った人の中で最も素晴らしい人でした。
母は、私を深く愛し、私がちょうど必要としていたときに、素晴らしい助け船を出してくれました。
彼女から受けた影響は、本当に価値のあるものでした。
さて、継母がいかに頭の切れる人であったか、お話ししたいと思います。
彼女は、そんな昔にもう「成功のノウハウ」を身につけていたのです。
もっとも、当時の私にとっては、成功ノウハウなどというものは、想像の範囲を超えていたのですが…
皆様の中にも、歯医者さんがいらっしゃるかと思いますが、継母は上の歯が入れ歯でした。
当時私は、入れ歯なんてものを知りませんでした。
見たこともありませんでした。
もっとも、その後、入れ歯については詳しく知る羽目になりましたが…
ある朝のこと、朝ご飯の用意をしているときに彼女は、その入れ歯を落としてしまったのです。
入れ歯は、壊れてしまいました。
父は、その割れた入れ歯を見ていました。
そして継母にこう言いました。
「マーサ、俺こんなもの簡単に作ることができるよ」
継母は、持っていたフライパンを落とし、父に抱きついて、キスをしながらこもった声でこう答えました。
「本当、あんたって素晴らしいわ!」
私は思わず「なんて女だ。 おやじが歯を作るだって?馬蹄鉄をつけているのは見たことがあるけど。 歯を作るなんて、おやじにできるわけないじゃないか。第一、材料の骨はどこで調達するんだ。それに、おやじが歯の作り方を知ってるわけがないじゃないか」と心の中でつぶやいていました。
ところが、何日かして私が学校から帰ってくると、家の中から変な臭いが漂ってきました。
家に入ると、きれいな小さいやかんが暖炉にかかっていました。
「ありゃあ、一体何なの?」と継母に尋ねると、彼女はこういいました。
「あれは、お父さんの治療道具よ。街に行って、やっと必要な道具をバーゲンセールで揃えたの。今朝、お父さんは私の歯のサイズの見当をつけてね。それをもとに、いま歯を作っているのよ。歯は、そのやかんの中にもうできているわ」
私が継母と話をしている内に、父はこのやかんを火からおろし、外の小川で冷やして帰ってきました。
それから、ナイフで外側の石膏を丁寧に剥がし始めました。
そして、ホースレストを取り出しました。
皆様は、ホースレストなんて年代物は、もうご存じないでしょう。
ホースレストというのは、馬に蹄鉄をつけた後、はみ出たひづめを切り取る道具のことです。
父は、このホースレストを使って、入れ歯からはみ出たゴムの部分をきれいに取り除き、柔らかい布で磨いてから、継母の口に押し込んだのです。
驚いたことに、この父の作った入れ歯は、継母の上あごに、ほとんど完璧といえるほどに、ぴったりと納まったのです。
その後、父は本格的に歯医者の技術を学び始めました。
まず、村の店に行き、鉗子やピンセットをオーダーしました。
そして歯に穴を開ける時に使う動力になるものを買い入れました。
父は、これをエンジンと呼んでいましたが、足で動かす粗末なものでした。
そして「現金客歓迎」の札をつけ、馬に乗り、山を越えて、ヴァージニア、 テネシー、ケンタッキーまで治療に出かけたのです。
父は、三年間もこの仕事を続けました。
ところが三年後のある日、家に治安判事がこう警告しにやって来ました。
「ヒル先生、あなたはヴァージニア州法504条と506条に違反しています。 歯科医師の免許なしで、歯の治療をするのは、法律違反です。 これ以上治療を続ければ、刑務所行きですよ」
父は、なんとかならないものか、と役所に行きました。
私は、ちょうど役所から帰ってきた父に出くわしましたが、その表情で駄目だったことがわかりました。
父は、馬から降りると、継母にこう言いました。
「マーサ、これで終わりだ。 もう、俺は歯医者は廃業さ。資格を取るには、試験を受けなきゃ駄目だってさ。でも俺には、試験になど受かる頭はないしね」
継母は、これを聞いて、力強くこう言いました。
「何を言っているのよ、 ドクター・ヒル。私は、がっかりさせてもらうために、あなたを歯医者にしたんじゃないわ。 試験を受けなくちゃいけないんだったら、受ければいいじゃない。 他の人たちと同じようにやればいいじゃない。 大学に行かなくちゃいけないんだったら、行けばいいでしょう」
私は、これを聞いて
「なんて人なんだ。 おやじが大学に行くだって!? キャンパスの中に入るだけだってダメだと言われそうなこのおやじが?おやじが大学に入れるはずがないじゃないか」
ところが…継母は、父をルイブル歯科大学に送ったのです。
そして、父は大学一年生の時に、すべての教科で優秀賞を取ってしまったのです。
四年制の大学でしたが、父は成績優秀だったので、三年で卒業することができました。
そりゃそうですよね。なにしろ、 父は入学時点で、すでにその大学のほとんどの卒業生よりも優秀な歯医者だったんですから。
継母のすごいところは、これだけではありません。
彼女は、父の学費を支払うために、前の夫の生命保険のお金を使ったのでした。
さて、特に女性の皆様、今、私は、私の個人的な話を致しましたが、自分の夫をいかにして奮い立たせるか、お分かりになりましたでしょうか?
この、私の継母が実践した哲学とは、 上手に夫を操り、刺激してヤル気を出させ、その夫を尊敬できるよう、自分でもっていくことなのです。
さぁ、あなたはこのエピソードから何を学ぶことができましたか?
継母のマーサは、どんな時でも相手を否定することをしませんでした。
父親が「そんなもの簡単に作れるよ」と言った時にも、肯定して褒めることをしました。
間違っても「そんなことできるわけない」と、相手を貶すようなことは発言していません。
そして、必要であれば一丸となって協力して、切り詰めて準備を行うことにも前向きです。
加えて、今回のエピソードでは知らずにやったことで、その行動自体は結果的に法律違反を犯してしまっていますが、自分が何かを行う上でチャンスというものは、日常のどこにでも転がっていることも示しています。
さらには、相手の可能性の芽を摘むことをせず、励まして後押しを行っています。
そのために自ら進んで代償を支払うことを行ってまで、です。
人が何かを為す途中では、必ず逆境や「自分には無理だ」といった思い込みといったメンタルブロックなどの障害が発生します。
その時に、隣にいるパートナーがどのように対応するかによって、本人のやる気を削ぐこともできれば、奮い立たせることもできるのです。