自己啓発は嫌い、でも変わりたい人へ専門家が裏も表も全て解説します

世の中には、自己啓発に興味がある人が多い反面、自己啓発が嫌いな人もたくさんいます。

嫌いな人がいること自体は、何も悪いことではありません。

なぜなら、世の中のどのようなことでも、賛否があるのは当たり前のことだからです。

ただし、批判や否定の意見というもののほとんどが、その対象のことについて、良く分かっていないから生まれるというのも事実です。

自己啓発の批判と称賛の関係について詳しく知りたい方は、以下の記事が参考になります。

例えば、自己啓発が嫌いな人に「自己啓発って何ですか?」と聞いてみて下さい。

そうすると、9割以上の人が

「願えば叶う的なやつでしょ」
「意識高く何かすることでしょ」
「潜在意識でしょ」

と、抽象的な表現一言で返ってきて終わるはずです。

つまり、本人もよく分かってないから「怪しい、嫌い」となっていることがほとんどであり、嫌悪感を示すのは極めて自然な反応なのです。

怪しい自己啓発セミナーなどに騙されないようにするコツを知りたい方は、以下の記事が参考になります。

そして

「自己啓発ネタでブログ記事を書いたり、動画を上げている人も、実際のところはよく分かっていない人が多いんだなぁ」

というのが、自己啓発業界でずっと仕事をしている私の見解です。

そこでこの動画では

・自己啓発を嫌いな人が、間違っているポイント
・成果へ繋げるために、学びを得ようとしている人の、勘違いや改善点
・ネットによくある内容の、何が間違っているのか

これらについて、自己啓発の業界に20年従事している専門家が、一つ一つ解説していきます。

決して釣り文句でもなく、実際に「私が見つけた限りのすべて」なので、内容は長くなりましたが、見ている人の現状改善のきっかけになれば幸いです。

この記事を書いた人

1982年生まれ。2004年(22歳)から20年間自己啓発の世界に身を置き、自己啓発のプロフェッショナルとして営業、社内講演や研修をメインに活動していました。

ナポレオン・ヒル財団・アジア/太平洋本部で、日本唯一の販社オーナーとして当時の個人、代理店共に月間セールス日本一の記録も保持していました。

以下の自社取扱いプログラムを所有、実践しており、ナポレオン・ヒルが一番好きです。

  • ナポレオン・ヒル(成功哲学の祖。「思考は現実化する」など成功法則を体系化)
  • ジョセフ・マーフィー(マーフィーの法則や潜在意識活用法)
  • マクスウェル・マルツ(サイコ-サイバネティクス理論)
  • ジグ・ジグラー(自己イメージ改造理論)
  • ブライアン・トレーシー(営業の神様)
  • デール・カーネギー(道は開ける・人を動かす)
  • ジョー・ヴィターレ(引き寄せの法則を広めた「ザ・シークレット」の賢人エイブラハム)

現在はほぼ隠居状態でのんびり、山籠りで自給自足の生活も良いなぁとか考えたりしてます。

自己啓発は、綺麗事ばかりだから嫌い

「自己啓発は、綺麗事ばかりだから嫌い」という意見は、ネットによくある「自己啓発が嫌いな理由」として、とても多いようです。

しかし、こちらに関しては、皆さんが文面の中に既に答えを出していらっしゃいます。

なぜなら、それは自己啓発を学んだのではなく、ただの「綺麗事」を学んでしまっている、ということだからです。

例えばですが、哲学を学んでも「あれは綺麗事だ」という人はいないでしょう。

成功哲学や、自己啓発として取り入れるものは、心構えを変えるために学ぶものですので、哲学や道徳のように、人としての教えとして身につけるものです。

つまり、結論から言うと「綺麗事」だったのであれば、それは自己啓発ではありません。

これは、運転免許を取得するために学科試験の内容ではなく、春の交通安全運動の歴史と意義について、必死に勉強しているようなものです。

交通安全運動は、交通事故防止のためにとても大事なものですが、免許取得の学科試験に合格するための知識として、学ぶものではありませんよね。

自己啓発もこれと同じで、自己啓発が嫌いな人のほとんどは、自己啓発っぽい何かに触れてしまったか、自己啓発を誤って理解しているかのどちらかです。

「自己啓発は、綺麗事ばかりだから嫌い」と言っている人の意見を見てみると

「関わる全ての人に心を開き、それを許そう」

といったような、聖人君子かのような内容を、自己啓発として教えているものもあるようです。

中には悪質な洗脳セミナーなども存在しますので、騙されないようにするコツを知りたい方は以下の記事が参考になります。

しかし、それはどちらかというと、自己啓発ではなく「右の頬を殴られたら、左の頬を~」的な、宗教に寄ったお話に近いものではないでしょうか。

少なくとも、私が知る限りの自己啓発では

・人付き合いを上手に行うには、心に扉を設定すること

自分が関わる相手に応じて、自分の心の扉で開けても良いレベルを設定すること。

もしそれを、無理にでも開けてこようとする人がいれば、その時は相手に応じて、心の扉のレベルによって遮断するべきである。

そうでないと、自分が被害に遭うか良心を悪用されるからです。

とあります。

このように、自己啓発と思っているけど実は全然違うものと正しい自己啓発とでは、中身も意味も全く変わってきます。

これでは、自己啓発が嫌いになってもおかしくありません。

もし、私が20年前に「関わる全ての人に心を開き、それを許そう」というものが、最初に触れた自己啓発だったとしたら、間違いなく嫌いになっていたでしょう。

「人の印象は、第一印象でほぼ決まる」というメラビアンの法則と同じように、最初に持ったイメージというものは、かなりの比率を占めてしまいます。

自己啓発っぽい何かに身を委ねてしまわないように、選択を行う時点で気をつけるようにしましょう。

自己啓発が一般的に怖いと言われている真実について詳しく知りたい方は、以下の記事が参考になります。

でないと、結果的に骨折り損の草臥れ儲けとなってしまい、自己啓発が嫌いな人たちの仲間入りを果たしてしまいます。

自己啓発は当たり前のことしか書いていないから嫌い

「自己啓発は、当たり前のことしか書いていない」というのは、ある意味で悟りの域まで達している人なのであれば間違ってはいません。

なぜなら、自己啓発や成功哲学は秘伝の奥義などではなく、人としてどう在るべきかの根本的な部分を身につけるものだからです。

例えばですが、その学ばれた内容がきちんとしたもので、それを当たり前と思えるレベルに、既にご自身が到達されているのであれば、おめでとうございます。

その場合は、もう何をしても成功が約束されていますので、どんなことで、何をしても、成果が出ることも当たり前、という保証がされている状態です。

要は「そんな当たり前のこと、教わるほどのものではない」という次元にいるのであれば、自己啓発が嫌いになるのも当然でしょう。

私見ですが、そこまで辿り着いているなら、好き嫌いではなく後続で頑張っている人のために、アドバイスしてあげた方が有益なのでは?と感じます。

しかし、もしその当たり前と言っている現状にも関わらず、成果が出ていないのなら、その当たり前すら出来ていない、という裏返しになってしまいます。

これは、どういうことかと言うと

「分かってるよ!」
「そんなん知ってるよ!」

という人と、同じということです。

一を聞いて、十を知る事ができる人であれば別ですが、ただの野狐禅なのであればそれは問題ですし、批判できる立場ですらありませんよね。

しかし、取り入れたものが

・自分では自己啓発と思っているけど、実は全然違うもの
・内容が無いもの

このようなものであれば、当たり前としてしか捉えられないのも当然のことです。

自己啓発の本に限らず、ブログ記事などでも自分活かせる記事の選び方について知りたい方は、以下の記事が参考になります。

これは、選択を誤って被害に遭ってしまったのと同じですから、自己啓発が嫌いになって斜に構えてしまうのは、仕方のないことです。

このように、自己啓発を嫌いになってしまうほとんどの人が、初めは純粋な想いを持っていて、かつ自己啓発に興味があって、実際に一歩踏み込んだ人たちなのです。

そうでなければただの食わず嫌いであり、ただの空想や思い込みで語っているのであれば、その意見に価値はなくなってしまいます。

選択を誤って、間違ったものに触れてしまい、お金の匂いを嗅ぎつけた悪い人に騙されたことで、嫌悪感と憎悪、復讐の念を感じるから

「二度と同じ轍は踏むものか!」

と斜に構えてしまうのです。

この場合には、やはり先程と同様ですが、自己啓発とは程遠いそれっぽいものに引っ掛からないように、選択の時点で、正しく判断できる自分に変わることです。

自己啓発が必要な人と不要な人の特徴に関して知りたい方は、以下の記事が参考になります。

もし、野狐禅になっている、という自覚があるのであれば「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という在り方を身につけるようにしましょう。

自己啓発はテンションが高いだけだから嫌い

「自己啓発は、テンションが高いだけだから嫌い」という意見は、自己啓発に対する嫌悪の印象でも、とても強いものです。

なぜなら、そういった詐欺やカルト、マルチなどの集団が非常に多く蔓延っており、その被害に遭った人が多いからです。

しかし、モチベーションを無理やり引き出すことが主体だったり、無闇に講師のテンションだけが高いセミナーなどは、自己啓発ではなく精神論や根性論です。

つまり、これも自己啓発ではありません。

これは「自己啓発セミナー」と称されたものに、よくありがちなのですが

・部屋の端と端に分かれて、自分と反対側の端にいる人へ向かって、声が枯れるまでアファーメーション(決意表明)をさせられる
・「できる!できる!!できる!!!」などと合唱させられる
・一列に並ばされ、一人ずつ大声でアファーメーションさせられる
・人間性を否定され、ひたすら罵倒され続ける
・何を言っても、否定され、泣き崩れるまで続けさせられる

このような無意味なことを一日中、酷いものだと泊まり込みで必死にやらせたりするのですが、これで上手くいくなら誰も苦労しません。

ちなみに、自己啓発的なお話をしますと、アファーメーションを大声で行うことに全く意味はありません。

また、複数人で行うことも、強制されることも、むしろ逆効果になります。

少なくとも、私が20年学んできた自己啓発の中に、そういった内容が記されているものは、一つもありませんでした。

逆に「学ばなくても良い」と判断したものには、そのように書いてあったものはたくさんありました。

怪しい自己啓発セミナーなどに、騙されないようにするコツを知りたい方は、以下の記事が参考になります。

取捨選択が出来ず、何でも取り入れてみようとするのは、お金の匂いを嗅ぎつけた悪い人たちが掘った落とし穴へ、自ら進んで落ちに行くようなものです。

テレビで芸人さんがドッキリなどで、落とし穴へ落ちる様子を見ることは笑えるかもしれませんが、自分事になったら、とてもではありませんが笑えませんよね。

それであれば、後悔しないように選択の時点で、直感とノリ、勢いや惰性で決めるのではなく、きちんと見極めるようにしましょう。

ちなみにですが、私も今では顧問契約を頂き、クライアント企業の社員研修へ入らせて頂く機会が多数あります。

しかし、先程のような大合唱や、謎のアファーメーションはこれまでも含め、一度もおこなったことはありません。

なぜなら、そのようなことをしても会社の売上は上がらず、上がるのは離職率だけだからです。

これは、自己啓発を正しく理解しているのであれば、当然のことなのです。

自己啓発とは何をすることなのか気になる方は、以下の記事が参考になります。

もちろん、アファーメーションは大事なことですので、行う目的を理解して頂いた上で、自発的に「各自で」やって頂きます。

しかし、その際に大声を上げることなどは、一切しません。

初心に返れば、これこそ「当たり前」なことなのですが、自己啓発は「自己」啓発であって「他者」啓発ではありません。

少し寄り道

蛇足ですが「自己啓発は嫌い」と、批判する人のレベルを見てみることも、非常に参考になります。

以前に拝見したもので、クスッとしてしまったのですが、自己啓発に対して、このように批判しているものがありました。

「本を読んでるんじゃ他己啓発じゃんw」

ええ、おっしゃりたいことは分かります。

でも、自己の反対だからって「他己」は、あまりにも、自分の程度の低さを物語ってしまっています。

しかも、突き詰めれば「啓発」という言葉の意味が「教えや導きなどから、自分を見つめ、物事を明らかにすること」ですので、入り口は外から取り入れることです。

つまり「啓発」の時点で、自分以外の外界から取り入れることが前提なのです。

それに気づかず、必死に「他己」と表現して、煽って批判するような人です。

このような批判をしている人が、小学生なら「すごいね~おもしろいね~」と、まだ分かります。

しかし、自己啓発に関して言うなら若くて30代、そのほとんどは40代以上が基本です。

実際に、私達のチャンネルや、サイトに訪問する人達の年齢もそのくらいです。

その年代で、先程のような程度の発言をしている時点で、発言や書き込みをしている人が、どのような人かは、残念ながらお察しですよね。

批判したい人には、言わせておけば良いですし、批判があるのも問題ありません。

しかし、その批判を見る人達は、間違ってもその意見が高尚な立場から発せられているものだ、といった勘違いを起こさないように気をつけましょう。

何せ「他己」レベルなのです。

正しいアファーメーションとは?

話を戻しますが、アファーメーションとは、自分への決意表明ですから、自分自身とだけ行えれば良いのです。

ですから、大声を出す必要もありません。

声も、自分が聞こえる範囲で十分です。

しかし、声を全く出さないというのは、ナシです。

小声でも良いので、必ず出すようにして下さい。

先程のような、全くもって意味のない、詐欺やカルトやマルチの集団がやっているようなアファーメーションを、さも「当たり前」のようにやっていたのでは

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」と、なってしまっているのと同じなのです。
※一応補足しておきますが、徳島県の阿波踊りの文化は、とても素晴らしいものです。

自己啓発は実現しないし、役に立たないから嫌い

自己啓発が嫌いな人に、多い意見として「自己啓発は実現しないし、役に立たないから嫌い」というものがありました。

しかし、これはもしかすると、あなたがそのとき求めていたものが、自己改革ではなくて方法論だったりしませんか?

なぜなら、方法論を求めている人にとっては、自己改革の内容は全く役に立たないからです。

自己啓発というものは、教えや導きなどから自己を見つめ直して、心構えから改革し、高めるために準備を行うことです。

これを、分かりやすく例えるなら、法話や説法、道徳の時間と考えて下さい。

ですので、スキルやテクニック、あるいは「いま稼ぐなら◯◯が稼げる!」といった内容ではありません。

もし、こうした勘違いから「自己啓発を嫌い」と言っているなら、甘いものが食べたいのに、カレーを食べて「甘くない!カレー嫌い!」と言っているようなものです。

ちなみに、この動画をご覧の人で

・アポが取れるトークを知りたい
・クロージングの方法を学びたい
・コミュニケーションスキルを身につけたい
・流行のビジネスで稼ぎたい

などの、方法論を求めているのであれば、自己啓発書よりもビジネス書を読んだ方が為になります。

あるいは、動画で学ばれたいのであれば、自己啓発系の動画よりも副業チャンネルなどの方が、有益な情報を得ることができるでしょう。

ここまでを踏まえた上で

1,中身がある、きちんとした自己啓発書を用いて
2,自己啓発を行った上で
3,何かにチャレンジしたのにも関わらず
4,それでも目標や願望を実現できなかった

とします。この場合は、少しキツい表現になってしまいますが

「現状が豚に真珠、猫に小判になってしまっている」

ということです。これは、自己啓発的なお話をしますと

「実現させられる状態にない、役に立てられない状態だった」

ということです。

実はこの状態の人こそ、きちんとした自己啓発を正しく行わないといけないのです。

なぜなら、自己啓発的なお話ですと、この「状態」こそが、自己啓発で身につけないといけない「在り方」というものだからです。

自己啓発が無駄に終わる人の特徴について知りたい方は、以下の記事が参考になります。

つまり、先程の番号順で言うと、2番の「自己啓発を行った上で」の部分が、自分では出来ているつもりでも、出来ていなかったということです。

例えばですが、あなたの友人で、次のような人がいたとしましょう。

「私は起業するんだ!そして会社を大きくして、立派な社長になる!」

そして結果、起業はしたけれど、上手くいかなかったとします。その時、あなたに

「起業なんてしても、夢は実現しない。起業するために学んだ本なんて、役に立たない」

と、言ってきたとしたら

「うんうん、そうだよね」

と納得して、返答できるでしょうか?

本人に直接は言わないまでも、きっとあなたの本心では

「それは、あなたが夢を実現させられる状態に達していない、もしくは、学んだものを役に立てられない状態だっただけじゃないの?それか、その本が本当に為になるものではなかったとか」

と、問題なのは起業でも夢でも本でもなくて、あなたでしょ?となりますよね。

少しだけ踏み込んだ自己啓発のお話をしますと、外的要因ではなく内的要因に目を向けないと、その先の成長はありません。

いつでも「誰かが悪い、会社が悪い、商品が悪い」と愚痴っぽい人には、同じ愚痴っぽい人しか、集まってこないのです。

これも、立派な引き寄せの法則であり、表現を変えるなら類友の法則ともいいます。

引き寄せの法則も、単なる都合の良い考え方ではなく、セオリーとロジックに基づいた法則なのです。

自己啓発を学ぶのであれば、こうして根拠がある、論理立てられたものをきちんと学ぶようにしましょう。

そうでないと、自己啓発を嫌いな人と自己啓発についての愚痴を、永遠と語るに留まってしまうことになります。

自己啓発なんて結局は「自分次第で行動と努力次第」だから嫌い

自己啓発を嫌いな人の代表意見で「結局、自分次第で、行動と努力次第」という人も、多く見受けられます。

こちらも、先程お話しした方法論と同じですが、自己啓発で学ぶものは正しくは考え方であり、身につけるものは在り方となります。

先程のアファーメーションを例に挙げると、アファーメーションを行うことは、既に学びの次の実践段階です。

アファーメーションを行う目的を見つける、目的を見つける自分に変わることが自己啓発であって、アファーメーションは方法でしかありません。

自己啓発を嫌いな皆さんが、よく勘違いしているものをもう一つ例に挙げるなら、目標設定も同じです。

目標設定を行う目的を、見つけることが自己啓発であって、目標設定を行うことは方法であり、既に行動段階なのです。

自己啓発で目標設定をすると何故失敗するのかについては、以下の記事が参考になります。

この点を勘違いされている方が、非常に多くいらっしゃいます。

このように、根本のビフォーアフターが何も変わっていない状態で

・アファーメーションを行っても
・目標設定を行っても
・うまくいかないので、方法だけを変えたり
・新しい手法を聞いたので、実践してみたり

このように、小手先の内容を変えたところで、さほど成果に違いは生まれません。

例えば、効率や要領が悪い人が別のことを行っても、その効率や要領は変わりませんよね。

この人が、変えないといけないのは「どう動くか」ではなくて「考え方の順序を変えたり、集中力を身につけること」ですよね。

ビフォーアフターと目標設定のお話が出たので、この動画をご覧の人が悪質な自己啓発や、謎のコンサルに引っかからないように、一点お話しておきます。

やたらと、自分の過去を深ぼりして、振り返らせて「過去の自分を許そう」みたいなものがあります。

ところが、自己啓発的なお話をしますと、これに自己啓発としての意味は、全く意味はありません。
※ただし、引き寄せの法則のように、他のものを連結させている場合を除きます。

なぜなら、自己啓発で行わなければならないことは、過去ではなく今と未来を見ることだからです。

これらはよくある洗脳セミナーにあるケースですので、こういった被害に遭わないために気をつけるポイントに関しては、以下の記事が参考になります。

少なくとも、私が学んでいる自己啓発の中では

・過去の扉に固執する人は、成功しない

栄光であれ何であれ、過去の扉は今すぐに閉じ、決して振り返ることはせず、前を見ることで全てが始まる。

過去の扉を開けることが大好きな人は、現状で留まっておきたい人だ。

とあります。

ここがズレているということは、もしかしたら、自己啓発を嫌いな人が学んだものが、先ほど説明したような、方法論だったのかもしれません。

もしくは、学ぼうとした人は純粋で、悪質な自己啓発っぽいものを、あたかも自己啓発のように教える詐欺などに、引っ掛かってしまっただけかもしれません。

そして、方法論を自己啓発っぽくした、間違ったエッセンスを取り入れてしまったことで、自己啓発を嫌いになってしまったのかもしれません。

人は、自分が「詐欺に引っかかった」「騙された」などとは、認めたくないし、ましてや公言などしたくもないのです。

要は、自己防衛のために「自己啓発が嫌い」と言っているケースです。

自己啓発セミナーで、怪しいものに引っ掛からないようにするために必要なことは、以下の記事で詳しくまとめています。

あるいは、本当に嫌いなのは「何をやっても、うまくいかない自分」という、本質である内的要因から、目を背けているケースも、実はかなり多く存在します。

そして、責任転嫁のために、外的要因であるものへ「自己啓発が嫌い!」と、ターゲットを逸らしてヘイトを向けているか、です。

ここで、いきなり突っ込まれて「ギクッ!」とされた方は要注意です。

嫌いという代表意見の「結局自分次第で、行動と努力次第」の「自分次第」という部分は合っているのですが「行動と努力」が実を結ばない人のことです。

この動画をご覧の人も、PDCAを回そうが、SMARTの法則に則って目標を設定しても、できていないからこそ困っていて、こちらへ辿り着いている人が多いのです。

物事がうまく行っていて、きちんと出来ている人であれば、この動画を見てはいないでしょう。

行動や努力ができない、続かない、という人が多いのも事実であり、自己啓発とは、そういった人のためにある、心構えの準備を行うためのものなのです。

このお話で、何より重要なのは「結局自分次第で、行動と努力次第」という結論に至った人達は

・成果が出せた上で言っているのか?
・それとも変わらず成果が出ていないのに言っているのか?
・もしくは触れたこともないのにイメージだけで言っているのか?

ということに、フォーカスすることが大事です。

もし、成果が出ていないのに偉そうに言っているだけなら、ただの愚痴ですよね。

あるいは、ただのイメージで言っているのも、食わず嫌いなだけですから、参考になるかと言われたら、何の意味もありません

唯一、成果が出せた上で言っている人の言葉であれば、耳を傾けるべきです。

例えばですが

・プロ野球選手が言う「結局自分次第で、行動と努力次第」
・野球経験者が言う「結局自分次第で、行動と努力次第」
・野球を知らない人が言う「結局自分次第で、行動と努力次第」

これらは、発言の価値も意味も重みも、全く異なりますよね。

そもそもですが、もし私自身がまだ何も知らない、成果の出ていない、一人の悩める人だとしたら

・そんな一言でまとめずに、論理立てて一から教えてよ
・その先があるなら、お金払ってでも学ぶから教えてよ

となります。というか20年前の当時の私は、実際にそうなっていました。

私の場合は、どこまでも理屈っぽいので

「その業界内で有名程度でよく分からない人よりは、世界的に著名で歴史もあり、権威も実績も十分な人の原液を、フォロー付けて学んだ方が早いでしょ」

という考えから、自己啓発を学んだ上での今が在ります。

例えば、飲食店を開業したいなら、参考にするべきアドバイスは飲食店を経営して、上手くいっている人の話ですよね。

間違っても現在、借金漬けで自転車操業の経営者や、飲食店経営が未経験の人の話ではないですよね。

そうしないと「成果は出ていない、しかし自分次第で、行動と努力次第だ!」というのは、ただの野狐禅です。

もしくは、先程例に挙げたような「起業したけど実現しない!意味ない!」と、同じ次元の話になってしまいます。

この動画をご覧の人も、ネットでアンチになっている人も、すべての人の入り口は

・行動と努力が、実を結ばなかったので、改善したい

ここが出発点であり、そこから自己啓発へ一歩踏み出す、という行動まで辿り着いていたはずです。

それであれば、成果が出ていない人ではなく、成果が出た人の考え方に自分を変えて、近づけましょう。

そうでないと、失敗した人の考え方に足を引っ張られ、これから先も自分を変えることや、成果を変えることも、できなくなってしまいます。

自己啓発を成果へと繋げることが出来るか、それとも無駄に終わってしまうのかの違いについては、以下の記事で詳しくまとめています

ちなみにですが、行動と努力次第で結果を出せる人というのは、既に考え方と在り方が備わっている人です。

なぜなら、そうでないとそもそも行動も努力も、実を結ぶまで継続することが出来ないからです。

継続できる人にとっては、それは「当たり前」かもしれませんが、継続できない人にとっては、それは「当たり前」ではなく、解決しないといけない「難問」なのです。

ですので、継続できる状態の自分へと変わる、そして解決することが自己改革であり、自己啓発です。

自己啓発は万人共通ではないから嫌い

自己啓発を嫌いな人で、多い意見に「万人共通ではない」というものも多くあります。

こうした意見の人は、完全に自己啓発に対して、解釈違いを起こしています。

なぜなら、自己啓発が万人共通ではないのは確かですが、それは

・現状身につけている能力と、修正点や、補わなければならないもの

これらが「万人共通ではない」のであって

・自己啓発で身につける、在り方という根本の考え方

これは、万人共通だからです。

考えてみて下さい。

例えば「魅力的な人とは、どのような人か?」と問われた時に、一つしか回答できないとしたら、確かに万人共通ではないでしょう。

しかし、色々な要素を持ち合わせているから魅力的なのであって、その要素を挙げてげていけば、優先順位の違いはあれど、万人共通の要素が並ぶのです。

これが、在り方というものです。

「そんなはずはない!」

と、納得出来ないのであれば、まだ考え方が方法論に偏っている可能性があります。

もしくは、当たり前のこと以外の存在しない、秘伝の奥義(やり方)を探し求めているかです。

このような人の場合、私の大好きな本で、ギネス認定もされている、ジョー・ジラードが著者の「営業の神様」という書籍がありますので、一度読んでみて下さい。

きっと、秘伝の奥義を求めているような人にとっては、書いてあることが当たり前すぎて、発狂してしまうことでしょう。

つまり「万人共通ではないから嫌い」と言っている人たちは、やり方やテクニックに関する「万人共通の」自己啓発っぽい本しか、学んでいないということです。

例えば「誰でも取れるアポの方法!」のようなものです。

こうしたものを学んだのに、成果に繋がらず意味なく終わってしまい、それを自己啓発と勘違いして、嫌いになってしまったのです。

このように、方法論も同じことを行ったところで、全員が万人共通の結果を得ることなどできませんので、そもそも万人共通ではありませんよね。

自己啓発は、決して「これをやれば成功する!」という、成功するための方法論ではありません。

自己啓発とは、成功した人の考え方に自分を近づけることであり、それが在り方の形成にも繋がっていきます。

自己啓発を20年学んで、実践している私の個人的な意見としては「万人共通ではないから嫌い」という意見の人は

万人共通ではない=万人共通のものなら学びたい

ということですよね。それなら、正に先程書いた通りで

根本である、成果を出している人に万人共通の在り方を身につけること

これこそが自己啓発ですから、きちんとした自己啓発を学べば、成果を出せた上で意見も変わるはずです。

この際に、気をつけないといけない点は

・万人共通の「やり方」ではない点

です。ここを間違えると、自己啓発が嫌いになってしまいます。

自己啓発が嫌いにならないよう、本にカバーを掛けよう???

自己啓発が嫌いな人の意見を見ていたら、その対策として出しているものを見て、思わず二度見してしまったものがあります。

それは、私もネットで見て初めて知ったのですが、自己啓発本を読んでいることが恥ずかしくて、ブックカバーを掛ける人がいる、とのことでした。

さらに「すごいな」と感じたのは、自己啓発ブログで上位の記事のいくつもが「恥ずかしいなら、自己啓発本にブックカバーをかけよう」と斡旋していたことです。

ブックカバーを使われること自体は、本を保護したり、おしゃれのためにはとても良いものです。

しかし、結論から申し上げますと、これは全く自己啓発できていませんので、成果が出ずに自己啓発が嫌いになるのも無理はないです。

なぜなら、これは行っていることが「自己啓発」ではなく、潜在的な「自己嫌悪」だからです。

世間一般で使われている表現で、皆さんに分かりやすく説明しますと「上げる」どころか「下げ」にいっています。

もちろん、ブログ記事を書く側の目線としては、理解できなくはないです。

なぜなら、ブログ記事を書く際に、記事を読む人の共感を得ることは基本だからです。

ですから「恥ずかしい」と思っている人に向けて書くなら、その内容はとても響くもので、かつ実践もしやすいものでしょう。

けれども、自己啓発の専門家としては「きっとこうして、自己啓発に対して間違った考え方や、方法論が広まっていくんだろうなぁ」と実感しました。

蛇足ですが、自己啓発ブログで活かすことが出来る記事の探し方については、以下の記事で詳しくまとめています

なぜなら「自己啓発を行って、成果に繋げたい」と思っている人にとって、これほど無意味で間違ったものはないからです。

そして「実践しやすい=成果が出やすい」ではないことにも、本当に気をつけて下さい。

本当に、思考停止して従っていないで、良く考えてみて下さい。

恥ずかしいけど、本にブックカバーを掛けてでも、外に持って行ってまで、自己啓発をして自分を変えたい!と思っている人がいるのです。

ところが、先程のブログのように、間違った内容を見て踊らされてしまっていることで、行動しても、成果からはどんどん遠のいて行っているのです。

これでは、そのブログはもはや、失敗者製造マシンのようなものです。

これは、それを信じた人にとっては、非常に勿体ないですし、とても可哀想なことですよね。

なぜなら、そこまで強い願望や想いがあるなら、あとは成果へと繋げるのに必要な足りない部分を、正しいもので補えば良いだけだからです。

誤った内容のブログ記事に流されたり盲信してしまい、その結果、成果へと繋がらないことが、自己啓発を嫌いになってしまう一番の原因ではないでしょうか。

自己啓発本が嫌いなる理由と、その改善のポイントについて詳しく知りたい方には、以下の記事が参考になります。

そもそも、自己啓発本に「恥ずかしいから」ブックカバーを掛けるということが、私にとって驚きでした。

20年間、自己啓発業界にいる私にとっては、20年前に電車の中で、自己啓発本を手に取っている人など、見たこともなかったからです。

最近では、新幹線でも飛行機でも「思考は現実化する」や「7つの習慣」「道は開ける」など、自己啓発書を読んでいる人が、本当に増えたな~と感じていました。

恥ずかしいからブックカバーを掛けたくなるのは、自己防衛本能からですが、そんな人におすすめの、一切費用の掛からない、自己啓発方法があります。

それは、今すぐにその本に掛けた、ブックカバーを外すことです。

なんと、そのブックカバーを外すだけで、1,000円の書籍を購入しただけの自己投資なのに、一石三鳥で、自己訓練まで出来てしまうのです。

なぜ、他の自己啓発ブログなどでは、自己啓発ネタなのに、こういったことを書かないのかな~と疑問でした。

ブックカバーをすることが自己防衛本能とは、どういうことかと言うと、その自己啓発本の内容が、自分の弱点でもあると、周囲へ示しているようなものだからです。

つまり、動物的本能から、自分の弱点を他者へ明るみにしたくない、もしくは露見してしまうことが恥ずかしい、周囲が気になる、というのと同意です。

なぜ、一石三鳥で、自己訓練までできるのかも後述します。

例えば「こうすれば異性にモテる!」という本を「外で読むのは恥ずかしい」という思いから、ブックカバーを掛けて読んでいる人がいたとしましょう。

しかし、その人にとっては、その本を外へ持って出てまで読むことをするほど、異性にモテることに興味があるということです。

そしてそれは、願望としては実現したい上位にあるからこそ、そこまでするわけです。

本当に恥ずかしくて、人に見られたくないものなら、大概はベッドの下だったり、クローゼットの奥底に隠されているもので、絶対に外には持っていかないですよね。

それであれば、その人が「異性にモテるために、本当に必要なもの」は、異性にモテるために必要なスキルや、テクニックではありません。

・異性にモテたいと思うことは、恥ずかしいことなのではないか?
・モテたいという願望は、全面に出してはいけないのではないか?

このような恥じらいを捨て「私は異性にモテたい!」という願望を達成するために

「そんな小さなことで、ナヨナヨしている人に、誰が魅力を感じるだろうか?」

と、自分自身の内面を鍛えて、自信を持てるように変わることです。

実際に「どんな異性に魅力を感じますか?」と聞かれれば、大半の人は

・着ている服のブランドや金額
・トークスキルやテクニックばかりで飾っている人

このような人よりも

・自分に自信を持っている人
・優しい人
・心から笑っている人
・芯が強い人

このような人の方が、魅力を感じますよね。

これが方法論ではなく、在り方を学ぶことの方が重要で、実際に成果に繋がるということでもあります。

それと、ブックカバーを外して得られる、先程の一石三鳥を詳しく解説しますと

一石三鳥の1つ目は、本の中身で学ぶことができる点です。

これは、ブックカバーがあろうとなかろうと、書籍を読むことで得られる効果ですよね。

一石三鳥の2つ目は、ブックカバーを外し、堂々と読むことで、メンタルを鍛えて、自己訓練にもなり、それが自信の形成にも繋がる点です。

もし「それをできるメンタルがあるなら、苦労しない」と、悩むレベルで、メンタルに問題があるのであれば、自己啓発が必要であることに気付くことができます。

さらに申し上げるなら、他人はあなたにそれほど興味を持っていません。

電車の中で、あなたがブックカバーを掛けずに読んでいたところで、下車して5分もすれば、本のタイトルは覚えていても、あなたの顔なんて忘れています。

一石三鳥の3つ目は、その書籍に共感を持つ人が現れる可能性がある点です。

こちらは、ブックカバーを掛けていたら、絶対に起こらない現象です。

まるで、嘘のように聞こえるかもしれませんが、新幹線や飛行機で書籍を読んでいると、声を掛けられることが実際にあります。

そこから話が弾み、交友関係や仕事にまで繋がることもあるのです。

私の場合ですが、本当にこれがきっかけで、今でも私のクライアントになって頂いている企業もあります。

新幹線に限らず、在来線でもその可能性は大いにあり得ます。

そして、それは自宅でも起こり得ることなのです。

例えば、奥さんが「集中力が高まるコツ」旦那さんが「人付き合いが上手くなるコツ」という本を読んでいたら

「悩んでいる問題があるなら協力しようか?」
「私にも何か手伝えることはある?」

と、声を掛けますよね。

「無関係の人ではなく、身の回りの友人に引かれたくないんだよ…」

と、お考えの方もいらっしゃるかもしれません。

しかしこれも、先程のモテたい例えと同じです。

恥ずかしくて外に持っていけないような自己啓発本を、わざわざ外に持っていってまで、読みたい目的があるのですよね。

それであれば、どのみちその身の回りの人とは、いずれ考え方の違いから、全員とまではいかなくても、遅かれ早かれ袂を分かつことになります。

そうならない唯一の状況は、あなたが「現状維持」した場合のみです。

つまり潜在的には、考え方が変わることや、成長することで自分が変わり、それに応じて環境や付き合う相手も、変わることを確信していないのです。

「どうせ失敗するだろう。その時に友人たちまで離れていっては、たまったものではない」

と、失敗の保険を掛けているのです。

そのような、失敗をほぼ確信しているのが前提のような状態では、何をやっても上手くはいきません。

引き寄せの法則で言うなら「願っているもの」を引き寄せることで、失敗します。

あるいは、セールスで例えるなら、最後に出てくる「NO」に対する、反論処理を必死に考えながら、プレゼンを組み立てているようなものです。

これが、なぜマズいかと言うと、クロージング後にNOをもらう前提でプレゼンを組み立てているからです。

セールス開始からクロージングまでで、NOを貰う前提が覆らない限りは、どんなに反論処理を必死に考えても、反論処理までに至る結論は「NO」ですよね。

このように、変えないといけないものは手段やテクニックではなく、この考え方であり、潜在的な心の状態なのです。

ですので、本もカバーを外すことで自己訓練も同時に行い、共通の考えや共感を得る人と出会えるかもしれない可能性を上げた方が、今後のためにもなります。

※一応注意です
読んでいる書籍を見て声を掛けてくる人は、確かに多いのですが、人間にも良い人と悪い人がいるように、声を掛けてくる人にも、良い人と悪い人がいます。

その見極めができるようになるまでは、安易に相手を信じ、交流を持つことは控えるようにしましょう。

チビっ子の「知らない大人の人についていっちゃダメ」理論です。

自己啓発は現実的ではないので嫌い

ここまで書いたついでなので、書籍に関しても一応記載しておきます。

中身がある、きちんとした自己啓発本であれば学びは得られますし、啓発できる人であれば、書籍を元に自己啓発できます。

しかし、結論から言いますと、自己啓発本を読んで実行しても、そのほとんどは失敗します。

なぜなら「読んで自己啓発することが出来たら、行動に移すようにする」のが、正しい順序だからです。

そうすれば失敗の可能性を、読む前に行動するよりも、下げることができます。

つい先程にも書いた通りですが、啓発できる人であれば、自分ひとりでも書籍を元に自己啓発できます。

モチベーションが上がった気がするのは「自己」ではなく「他者」啓発だから失敗するのです。

これが「自分」で「モチベーション」を「芽生えさせる」ことができるなら、正しい自己啓発です。

本を読んでも、自己を啓発させることができなければ、本来の目的を果たしていません。

それであれば、現状と成果が変わることはありませんし、加えて言うなら読まなくても良い本でもあります。

もしかしたら、書籍に問題がなくても、自分が自己啓発できる状態にない可能性もあります。

そして、ネットや書籍に、すべての答えを求めることは間違っているので、読んでいることできっかけを掴んでいる、くらいに留めておくのが正しい使い方です。

これも、自己啓発によくある意見ですが「現実的でない」という人がいます。

ちなみにですが、自己啓発を正しく理解している人ほど、自己啓発はどこまでも、それこそ超が付くほど、現実的であることを知っています。

なぜなら、自己啓発とは論理と理論によって、体系立てられたものだからです。

何より現実を見るなら、印税というもので、1,000円で売ったら100円貰えるものが書籍です。

それくらいの価値のものに、自分の持っている知識やノウハウの全てを、そこに詰め込むことはしない、という現実もきちんと見るようにしましょう。

あとは「楽に、簡単に、すぐに」などの、釣り文句に引っ掛からないように、気をつけることです。

そうすれば、怪しい自己啓発に引っ掛かったりする可能性も、格段に下げることができるはずです。

自己啓発が好き嫌いに関わらず、成果へと繋げるために

自己啓発を嫌いな人は、基本的には一度、自己啓発を信じたことのある人です。

そして、その結果、良くない方向に転んでしまったので、嫌いになった人がほとんどです。

それが、自分でなく友人や周囲の人、あるいは家族がそうなってしまったのかも知れません。

しかし、蓋を開けてみれば、それは自己啓発ではなく、自己啓発っぽい何かであることがほとんどです。

もしくは、我流でやってみたものの、うまく行かなかった人がほとんどです。

ですので、自己啓発に限らず、きちんと事前に情報の取捨選択をできるようになりましょう。

選ぶ際には、世界的に歴史と権威があり、かつ実績と信頼があるものを選択して下さい。

そして、きちんと自分の身の回りにサポートチームを置くようにして下さい。

そうすれば、詐欺などに引っかかることもなくなりますし、我流で躓くこともなくなるでしょう。

正しく自己啓発を理解して、取り組み、自分の人生に役立てていきましょう。

まとめ
  • 自己啓発ではないものを自己啓発と勘違いしなければ、嫌いになることはない
  • 正しいものを取捨選択できるようになれば、落とし穴に落ちることはなくなる
  • ネットも本も、現実を見て、そこにすべてを求めるのではなく参考程度に